top of page

あれから300年

  • 2012年8月29日
  • 読了時間: 2分

1712年今から丁度300年前、徳川家宣が51歳で亡くなった。


 家宣は元禄関東地震(1703年)の翌年、43歳で世嗣のなかった叔父5代将軍綱吉の養子となり、1709年最高齢48歳で6代将軍となった。その間、1707年には歴史上最大といわれた宝永地震と富士山大爆発を経験している。将軍となった家宣は悪法として名高い「生類憐みの令」等を廃止するなど、綱吉政治の修正を行った。又、放漫財政と地震災害の連続で、火の車となった幕府財政を立て直す事が求められた。その為に登用されたのが、儒学者新井白石と側用人間部詮房で、正徳の治といわれる一連の改革を行った。しかし、学者が行う政治は、理想主義に陥り、かえって政治を混乱させてしまった。


 正徳の治が失敗に終わった原因は、家宣が3年で没し、次の7代将軍家継が幼かったことも一因である。家継の名前の由来は、改革を継続するという意味が込められていたのだろうが、4歳の最年少将軍には荷が重すぎた。結局家継は8歳で亡くなり、宗家家康直系の将軍はここで途切れ、傍系の8代将軍吉宗が誕生する。なぜ傍系の吉宗が将軍になれたのかといえば、幕府財政破綻に瀕し、それを立て直せる将軍として、紀州藩の財政再建を行い、実績をあげた吉宗が選ばれたのである。あれから300年、財政再建と東日本大震災の復興にあえぐ野田政権は正徳の治によく似ている。政権基盤が弱く、改革の志はあっても実行力と迫力に欠ける。混迷する時代の首相には吉宗のような強い実行力が求められる。財政再建の為、農民から搾るだけ搾った大増税将軍吉宗が、将軍に就任したのは1716年である。


 これから4年後の2016年、誰が今吉宗になるのか興味深い。歴史は繰り返すのか注目である。

 
 

最新記事

すべて表示
豊臣兄弟

4月26日、今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」、第16回は「覚悟の比叡山」のタイトルであった。織田信長による比叡山焼き討ちは、前回の「姉川の戦い」(1570)の翌年に起こった。当時の比叡山は、有力大名のような軍事力・経済力を持ち、信長と敵対関係にあった。姉川の戦いは、織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦いであり、まれにみる凄惨な戦いで姉川が血で真っ赤に染まったと言われている。この戦いに敗れた浅

 
 
お彼岸に想う

3月17日は彼岸入り、期間中は天候に恵まれ先祖のお墓参りに多くの人が訪れた。今年の特徴は、前半が少なく中日以後に多く、例年とは少々様子が違った春彼岸であった。お彼岸は、春と秋と2回あり中日を挟んで前後各3日の7日間で、平安時代から続く日本独特の仏教行事である。それでは、なぜ7日間なのか、なぜ中日なのか、そこには仏教のスローガンである「成仏」「中道」の意義が込められている。先祖のお墓参りも大切だが、

 
 
衆議院選挙

2月8日、第51回衆議院選挙が行われ、衆議院定数の4分の3を占める巨大与党が誕生した。しかし、最大野党の新党中道改革連合は、目論見が外れ歴史的大敗を喫した。中道改革連合は、立憲民主党と公明党が急遽選挙目当てに作った選挙互助会で、公明党が標榜する仏教用語「中道」を冠する党名である。中道とは、お釈迦様が悟りを求め修行する中で、苦行主義と快楽主義の両極端を否定する仏教思想である。この党名は、極端な右翼と

 
 
bottom of page