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大川小の悲劇

  • 2016年10月30日
  • 読了時間: 2分

10月26日、東日本大震災で犠牲になった、大川小学校児童の遺族が訴えた裁判の判決が、仙台地裁で出された。その内容は、「教員らは大津波の襲来を予見でき、裏山に児童を避難させるべきだった」と学校側の責任を認め、石巻市・宮城県に14億の賠償を命ずる判決であった。それは想定外だからといって、罪を免れることは出来ないという、教育現場への警鐘である。石巻市・宮城県のこれからの対応に注目である。


 大川小を一度でも訪れたことのある人は、この判決は理解できるだろう。私自身、大川小の校庭に立った時、すぐ裏は山、そこには小道が通り、誰でも容易に登ることができる。なぜ、北上川の堤防道路に向かったのか、大きな疑問が残った。そして、津波が来るまでの50分間、この校庭で何があったのかを知りたいと思った。その経過を知ることは、これから起きるであろう大地震大津波時のマニアル作成に、大いに役立つからである。児童74名の尊い命をムダにしない為にも、徹底した検証が望まれる。なぜ、このような致命的な判断ミスが起きたのかを、解明してもらいたい。

 そもそも、石巻市は津波に対する認識が甘かった。その象徴が、東日本大震災で被災し機能しなかった石巻市立病院の立地に、見ることができる。海抜Oメートル・すぐ前は海・脇は北上川河口と、津波のことを考えたら、とても病院は立てられない。それは、高台に立つ隣町の女川町立病院と比較すれば、一目瞭然であった。十数年前、初めて石巻市立病院を訪れた時の、そんな思いが現実となり、なんとも複雑な気持ちである。大川小の悲劇は、津波を軽視して行政を行ってきた、石巻市当局にも責任の一端はあるだろう。


 大川小には、避難する場所と時間が十分あっただけに、残念でならない。この悲劇を教訓に、「火の用心」だけでなく、「津波用心」も対の標語として、後世に伝え広めなければと思っている。

 
 

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