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  • 144491
  • 5月31日
  • 読了時間: 2分

5月28日、アメリカによるイラン攻撃から3ケ月、今だに先行きの見えない状況が続いている。3月の高市首相訪米の折、トランプ大統領は「望めば2秒でこの事態を終わらせることができる」と豪語したことが思い出される。しかい、毎日のように発言が変わり、ディールの達人の手腕が問われている。トランプ大統領のディールは、したたかなイランとの交渉に行き詰まり、焦りの見える今日この頃である。ホルムズ海峡の閉鎖は、世界中に多大な影響を与え、アメリカの威信は傷付き、トランプ大統領の正念場である。  なぜ、アメリカはイラン攻撃に踏み切ったのか、イスラエルに説得されたようにみえるが、根底にはイランに対するトラウマがあると思っている。そのトラウマとは、今から47年前に起こった前代未聞の、アメリカ大使館占拠事件である。1979年2月、ホメイニ師を最高指導者とするイラン革命が起き、世界的にもまれな宗教国家が誕生し、パーレビ国王は追放されアメリカに亡命した。イラン革命政府は、パーレビ国王の身柄引き渡しを要求したが、アメリカはこれを拒否した。11月、これに怒ったイスラム革命防衛隊に率いられた学生たちがアメリカ大使館を占拠し、大使館員52名を人質にした。アメリカ政府は、人質の解放を求めたが、難航し苦境に陥った。  1980年4月、アメリカは人質救出作戦を決行したが失敗、当時のカーター大統領の人気は急落、「強いアメリカの復活」を掲げたレーガン氏に敗れる原因となった。1981年1月、人質はレーガン新大統領の就任式直後に全員が解放され、15ケ月ぶりにようやく解決した。しかし、この事件を契機にアメリカとイランは国交断絶し今日に至るまで半世紀にわたり、激しい対立が続いている。  本来、大使館への侵入や大使館員を人質にすることは、ウイーン条約違反であり長期間占拠し続けたイランは、アメリカにとって不俱戴天の敵である。これまでの関係を考えると、交渉が難航するのは予想通りの展開である。どんな決着を見せるのか、トランプ大統領の真価が問われることになる。





  • 144491
  • 4月30日
  • 読了時間: 2分

4月26日、今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」、第16回は「覚悟の比叡山」のタイトルであった。織田信長による比叡山焼き討ちは、前回の「姉川の戦い」(1570)の翌年に起こった。当時の比叡山は、有力大名のような軍事力・経済力を持ち、信長と敵対関係にあった。姉川の戦いは、織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦いであり、まれにみる凄惨な戦いで姉川が血で真っ赤に染まったと言われている。この戦いに敗れた浅井・朝倉の軍勢を比叡山が匿ったことが、焼き討ちされる一因となった。比叡山焼き討ちは、日本の歴史の中で政教分離のきっかけとなった、一大事であった。  今回の「覚悟の比叡山」は、前回の「姉川の戦い」のような凄惨な場面は少なかったが、史実によれば信長の残虐性が一番よく表れた攻撃であったといわれている。姉川の戦いは武士同士の戦い、しかし比叡山焼き討ちはすべての堂塔伽藍を焼き尽くし、僧侶や女・子供まで首を刎ね皆殺しにした、歴史上例を見ない峻烈なものであった。大河ドラマの中では、その場面を忠実に描くことは憚れたのか、女・子供が殺されていた一場面だけであった。物語の中心は、豊臣兄弟と明智光秀の苦悩と覚悟を決めるものであった。  豊臣兄弟の苦悩と覚悟は、姉の子供を人質に差し出す姉との葛藤で、この子供は後に秀次となり、秀吉の養子となり関白となった。しかし、実子秀頼が生まれたことにより、謀反の疑いをかけられ28歳の若さで高野山で切腹を命じられ、非業の死を遂げた。一方、明智光秀は信長から比叡山焼き討ちを命じられ、苦悩と覚悟する姿が描かれていた。この出来事は、後の「本能寺の変」を引き起こす遠因になったといわれている。信長のこのような家臣に対する非情で無慈悲な扱いは、革命家が持つ特異な資質なのかも知れない。  比叡山延暦寺は、最澄(767~822)によって創建された天台宗総本山の名刹である。白河法皇(1053~1129)は、「賀茂川の水、双六の賽の目、比叡山の山法師は自分の思い通りにはならない」と嘆いている。信長にとって比叡山は、浅井・朝倉に味方する許すことのできない敵だったのだろう。次回は「小谷落城」、どのように描かれるのか楽しみである。

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  • 3月31日
  • 読了時間: 2分

3月17日は彼岸入り、期間中は天候に恵まれ先祖のお墓参りに多くの人が訪れた。今年の特徴は、前半が少なく中日以後に多く、例年とは少々様子が違った春彼岸であった。お彼岸は、春と秋と2回あり中日を挟んで前後各3日の7日間で、平安時代から続く日本独特の仏教行事である。それでは、なぜ7日間なのか、なぜ中日なのか、そこには仏教のスローガンである「成仏」「中道」の意義が込められている。先祖のお墓参りも大切だが、同時にこの事も思い出してもらいたいものである。  インドでは、7という数字は「成仏」を表し、お釈迦様が誕生するや否や四方に7歩あるき右手を挙げて、「天上天下唯我独尊」と唱えた仏説がある。この仏説は、この子は将来仏と成ることを7という数字で、暗示している。春分と秋分の中日は、昼と夜の長さが同じで、どちらにも偏らないという「中道」を意味している。「中道」は、お釈迦様が快楽主義と苦行主義から、悟りを得られなかったところから生まれた、仏教用語である。原始仏教では、「中道」を実践するための徳目として、八正道がある。  八正道とは、1.正見(正しく四諦の道理を見ること)2.正思(正しく四諦の道理を思惟すること)3.正語(真実のある言葉を語ること)4.正業(清浄な生活をすること)5.正命(身口意の三業を清浄にして、正法に従って生活すること)6.正精進(涅槃に至る努力を継続すること)7.正念(邪念を離れ正しい道を憶念すること)8.正定(精神を集中し安定して迷いのない清浄な境地に入ること)の8である。四諦とは、仏教の教説で、苦諦・集諦・滅諦・道諦の4で、八正道と共に仏教教議の根本である。1月の衆議院選挙で、新党「中道改革連合」が誕生し、中道の改革を訴えたが、選挙民から支持を得ることはできなかった。  創価学会を母体とする公明党、労働組合を母体とする立憲民主党、公明党の支持者にとっては中道は聞きなれた仏教用語だろうが、立憲民主党の多くの支持者にとって初耳だったろう。八正道の境地で、改革の政策を立案するには難しく消化不良となり、歴史的大敗を喫した。中道との相性は、「成仏」は大吉だが「改革」は大凶である。中道改革連合の今後が心配である。


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