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  • 144491
  • 7 日前
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7月26日、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」は、「天下への道」のテーマで山崎の戦いが放映された。山崎の戦いは、秀吉の備中からの中国大返しで主君信長の弔い合戦に挑み、光秀を打ち破った戦いとして有名である。秀吉は、この戦いで勝利したことが、天下取りの第一歩となった。それにしても、備中高松城から山城国山崎まで230キロを、武具を付けて一週間余りで踏破したのだから、驚異的である。  「天下への道」の中で一つ気になったのは、秀吉と生け捕りにされた光秀が、お茶席で対面する場面である。歴史的には、光秀は逃走中に土民に殺されたのであり、生け捕りにされたという史実はない。あえて、秀吉と光秀が対面する場面を創作した意図は何だったのか、正直分からない。この二人の会話の中で、信長によって京都から追放された足利義昭を将軍にする為、「本能寺の変」を起こしたと光秀に語らせている。諸説の理由があるだけに、この場面が必要だったのかは、意見の分かれるところだろう。  先週の「本能寺の変」で信長の登場は終わったが、これまでの小栗信長の圧倒的な存在感を見ていると、タイトルの「豊臣兄弟」に違和感があった。内容的には、「信長と豊臣兄弟」のタイトルがふさわしいのではないかと、思っていた。来週のテーマは「清須会議」、どのように描かれるのか楽しみである。この会議は、信長亡き後の主導権争いが始まる重要な会議である。秀長がどんな役割を果たすのか、あまり知られていないだけに、興味は尽きない。  「豊臣兄弟」を見ていて、ちょっと気になった事がある。それは、NHKの予算の都合もあるのだろうが、大河ドラマのセットとしては貧弱で、舞台のセットのように見えて、出演俳優が豪華なだけに残念である。バブル時代の「独眼竜政宗」を見ていた世代の、忌憚のない感想である。

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  • 6月30日
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6月26日、山梨県富士河口湖町で震度6弱の強い地震があり、富士山との関連が心配される。気象庁は、富士山の火山活動に異常はないと発表したが、1707年に大爆発して以来320年間休止している富士山は、過去およそ5600年間に180回もの噴火を繰り返してきた活火山である。記録に残る一番古い噴火は781年の天応噴火で、平安時代には頻繫に噴火したことが記されている。  2011年の東日本大震災は、869年の貞観地以来の巨大地震で、東北地方は1142年ぶりに「地球にいいようにやられた」と覚えている。貞観地震の5年前には、富士山の大爆発があり現在の富士五湖が誕生した。貞観地震では、先に富士山が大爆発したが、これまで最大の地震と言われる1707年の宝永地震では、49日後に富士山が大爆発し、江戸に大きな被害が出た。その時の様子が、当時江戸に住んでいた儒学者新井白石の自叙伝「折たく芝の木」に記録されている。江戸には、大量の火山灰が降りそそぎ、昼間は暗闇に包まれ、火山灰は強風に舞い上がり、呼吸器系の疾患にかかる人が続出したと書かれている。  近年、日本列島では北は北海道から南は沖縄まで、頻繫に地震が起きている。日本に住んでいる限り地震から逃れることは出来ない。これは日本だけの現象ではなく、地球規模で起きていて、今月だけだもフィリピン・ベネズエラと大地震に見舞われている。地球の地震活動が、静穏期から活動期に入ったことを示している。このことを自覚し、一人一人が地震への心構えと準備を怠ってはならない、「備えあれば患いなし」である。東日本大震災は、想定外の想像を絶する被害であったことを忘れてはならない。  今年で関東大震災(1923)から103年、100年を過ぎると関東で地震が増えてくるといわれている。関東は、日本の人口の三分の一の4360万人が住み、国内最大の経済・人口集積地である。大地震や富士山大爆発が起きれば、甚大な被害が及ぶことは必至である。被害を軽減するためにも、東京一極集中の是正が求められている。

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  • 5月31日
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5月28日、アメリカによるイラン攻撃から3ケ月、今だに先行きの見えない状況が続いている。3月の高市首相訪米の折、トランプ大統領は「望めば2秒でこの事態を終わらせることができる」と豪語したことが思い出される。しかい、毎日のように発言が変わり、ディールの達人の手腕が問われている。トランプ大統領のディールは、したたかなイランとの交渉に行き詰まり、焦りの見える今日この頃である。ホルムズ海峡の閉鎖は、世界中に多大な影響を与え、アメリカの威信は傷付き、トランプ大統領の正念場である。  なぜ、アメリカはイラン攻撃に踏み切ったのか、イスラエルに説得されたようにみえるが、根底にはイランに対するトラウマがあると思っている。そのトラウマとは、今から47年前に起こった前代未聞の、アメリカ大使館占拠事件である。1979年2月、ホメイニ師を最高指導者とするイラン革命が起き、世界的にもまれな宗教国家が誕生し、パーレビ国王は追放されアメリカに亡命した。イラン革命政府は、パーレビ国王の身柄引き渡しを要求したが、アメリカはこれを拒否した。11月、これに怒ったイスラム革命防衛隊に率いられた学生たちがアメリカ大使館を占拠し、大使館員52名を人質にした。アメリカ政府は、人質の解放を求めたが、難航し苦境に陥った。  1980年4月、アメリカは人質救出作戦を決行したが失敗、当時のカーター大統領の人気は急落、「強いアメリカの復活」を掲げたレーガン氏に敗れる原因となった。1981年1月、人質はレーガン新大統領の就任式直後に全員が解放され、15ケ月ぶりにようやく解決した。しかし、この事件を契機にアメリカとイランは国交断絶し今日に至るまで半世紀にわたり、激しい対立が続いている。  本来、大使館への侵入や大使館員を人質にすることは、ウイーン条約違反であり長期間占拠し続けたイランは、アメリカにとって不俱戴天の敵である。これまでの関係を考えると、交渉が難航するのは予想通りの展開である。どんな決着を見せるのか、トランプ大統領の真価が問われることになる。





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