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8月31日
読了時間: 2分

8月23日、NHK大河ドラマは信長亡き後の後継を争う「賤ケ岳の決闘」が放映された。この戦いで、柴田勝家は秀吉に敗れ自身の居城である北庄城に逃れたが、秀吉軍に包囲され城に火を放ち、妻お市と共に自害して果てた。「賤ケ岳の決闘」での注目の場面は、前田利家が勝家に天下を取るよう懇願したが、聞き入れられなかった。これに失望した利家は、勝家に味方することはなかった。利家と勝家は、越前の一向一揆鎮圧に共に戦った盟友であっただけに、勝家にとっては不本意だったろう。勝家は、信長の妹お市を娶ったのであるから、自らが織田家の守護者として、天下を取る気概を見せていればと思うと、残念である。  前田利家は、信長・秀吉に重用され加賀百万石の礎を築いた、尾張出身の戦国大名である。そして、豊臣政権を支える有力大名となり、秀吉亡き後は幼い秀頼を補佐し、五大老最年長の実力者として、難しい政権運営に尽力した。しかし、利家は「関ヶ原の戦い」(1600年)の前年に62歳で死去し、豊臣政権にとって大きな痛手となった。もし、利家が存命ならば家康は「関ヶ原の戦い」を、起こすことはできなかっただろう。利家は、生前には織田家を見限り秀吉に付き、死後は豊臣家滅亡の端緒となったのだから、興味をそそる人物である。利家の死は、家康にとって好機到来をもたらし、「関ヶ原の戦い」で勝利を納め、覇権を握り徳川幕府の扉を開いた。  江戸時代の狂歌に「織田がつき 羽柴がこねし天下餅 座りしままに食ふは徳川」とあるが、この三家の役割をよく表現している。「羽柴がこねし天下餅」とあるが、秀吉と秀長がこねた天下餅は、1582年の清須会議から1590年の北条征伐の9ヶ年を表している。この間、秀長は「長秀」から「秀長」に改名し、秀吉は天皇から豊臣姓を下賜され「豊臣家」を創出した。9ヶ年にわたる天下餅づくりは戦いの連続で、秀吉の秀長に対する過度な役目は、秀長の寿命を縮める結果となった。  1591年、秀長は天下一統を見届け、52年の生涯を閉じた。秀長の死は、秀吉の朝鮮出兵等の暴走を許す結果となり、豊臣家滅亡の引き金となった。秀長は、秀吉にとって掛け替えのない弟だったといえるだろう。



7月31日
読了時間: 2分

7月26日、NHK大河ドラマ「豊臣兄弟」は、「天下への道」のテーマで山崎の戦いが放映された。山崎の戦いは、秀吉の備中からの中国大返しで主君信長の弔い合戦に挑み、光秀を打ち破った戦いとして有名である。秀吉は、この戦いで勝利したことが、天下取りの第一歩となった。それにしても、備中高松城から山城国山崎まで230キロを、武具を付けて一週間余りで踏破したのだから、驚異的である。  「天下への道」の中で一つ気になったのは、秀吉と生け捕りにされた光秀が、お茶席で対面する場面である。歴史的には、光秀は逃走中に土民に殺されたのであり、生け捕りにされたという史実はない。あえて、秀吉と光秀が対面する場面を創作した意図は何だったのか、正直分からない。この二人の会話の中で、信長によって京都から追放された足利義昭を将軍にする為、「本能寺の変」を起こしたと光秀に語らせている。諸説の理由があるだけに、この場面が必要だったのかは、意見の分かれるところだろう。  先週の「本能寺の変」で信長の登場は終わったが、これまでの小栗信長の圧倒的な存在感を見ていると、タイトルの「豊臣兄弟」に違和感があった。内容的には、「信長と豊臣兄弟」のタイトルがふさわしいのではないかと、思っていた。来週のテーマは「清須会議」、どのように描かれるのか楽しみである。この会議は、信長亡き後の主導権争いが始まる重要な会議である。秀長がどんな役割を果たすのか、あまり知られていないだけに、興味は尽きない。  「豊臣兄弟」を見ていて、ちょっと気になった事がある。それは、NHKの予算の都合もあるのだろうが、大河ドラマのセットとしては貧弱で、舞台のセットのように見えて、出演俳優が豪華なだけに残念である。バブル時代の「独眼竜政宗」を見ていた世代の、忌憚のない感想である。

6月30日
読了時間: 2分

6月26日、山梨県富士河口湖町で震度6弱の強い地震があり、富士山との関連が心配される。気象庁は、富士山の火山活動に異常はないと発表したが、1707年に大爆発して以来320年間休止している富士山は、過去およそ5600年間に180回もの噴火を繰り返してきた活火山である。記録に残る一番古い噴火は781年の天応噴火で、平安時代には頻繫に噴火したことが記されている。  2011年の東日本大震災は、869年の貞観地以来の巨大地震で、東北地方は1142年ぶりに「地球にいいようにやられた」と覚えている。貞観地震の5年前には、富士山の大爆発があり現在の富士五湖が誕生した。貞観地震では、先に富士山が大爆発したが、これまで最大の地震と言われる1707年の宝永地震では、49日後に富士山が大爆発し、江戸に大きな被害が出た。その時の様子が、当時江戸に住んでいた儒学者新井白石の自叙伝「折たく芝の木」に記録されている。江戸には、大量の火山灰が降りそそぎ、昼間は暗闇に包まれ、火山灰は強風に舞い上がり、呼吸器系の疾患にかかる人が続出したと書かれている。  近年、日本列島では北は北海道から南は沖縄まで、頻繫に地震が起きている。日本に住んでいる限り地震から逃れることは出来ない。これは日本だけの現象ではなく、地球規模で起きていて、今月だけだもフィリピン・ベネズエラと大地震に見舞われている。地球の地震活動が、静穏期から活動期に入ったことを示している。このことを自覚し、一人一人が地震への心構えと準備を怠ってはならない、「備えあれば患いなし」である。東日本大震災は、想定外の想像を絶する被害であったことを忘れてはならない。  今年で関東大震災(1923)から103年、100年を過ぎると関東で地震が増えてくるといわれている。関東は、日本の人口の三分の一の4360万人が住み、国内最大の経済・人口集積地である。大地震や富士山大爆発が起きれば、甚大な被害が及ぶことは必至である。被害を軽減するためにも、東京一極集中の是正が求められている。

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