昨年12月8日、中国は突然「ゼロコロナ政策」を止めて、国内外の移動自由を解禁した。この政策転換は、11月の「白色デモ」による国民の怒りが、共産党に及ぶことを危惧したためと言われている。この決定は、医学的見地からではなく政治的判断によるもので、政治がすべてに優先する中国らしい政策決定である。重要なのは、共産党体制を守ることで、コロナから国民を守ることよりも大切なのである。この政治体制を最優先する風土は、中国の近代化に失敗した清朝末の混乱に見て取れる。
中国は、「日清戦争」(1894~95)で日本に惨敗した。その反省から、清朝第11代光緒帝(1871~1908)は、康有為らを登用し急進的な政治改革を目指したが、当時実権を握っていた叔母西太后に阻止され、「戊戌(ぼじゅ)の政変」は失敗に終わり、幽閉され若くして病死した。光緒帝は、日本の明治維新を成功に導いた伊藤博文を顧問に、迎え入れようとしたとも言われている。西太后は、この政治改革が清朝崩壊につながることを、恐れたのである。
光緒帝の「戊戌の政変」は失敗に終わったが、その後の「義和団の乱」(1900)の敗北を経て、西太后はようやく政治改革を容認するようになった。近代化の最大の障害であった、隋の時代から1300年続く「科挙」を1905年に廃止した。そして、海外留学の学歴が「科挙」と同等に認められるようになり、多くの若者が海外留学するようになった。その中でも、明治維新によって近代化に成功した日本留学が圧倒的に多く、孫文をはじめ多くの革命家が日本から育ち、「辛亥革命」(1911)を起こし清朝を倒し中華民国を樹立した。
今日、中国は鄧小平の「改革開放」によって、世界第2位の経済大国となった。しかし、習近平はこの経済優先の政策を、共産党一党独裁を守るために政治優先に舵を切っている。政治ファーストが、どんな結果をもたらすのか非常に興味がある。21世紀の西太后にならないことを祈る。
