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  • ohuchi8
  • 2016年9月30日
  • 読了時間: 2分

9月25日、NHKスペシャルで「縮小日本の衝撃」という、刺激的タイトルの番組が放送された。その中で、人口減少の影響が最も端的に表れている、北海道夕張市の苦悩する姿が紹介されていた。そして、人口減少に最も縁どういと思われた、東京都豊島区の将来像も紹介され、東京も例外ではないことを思い知らされた。この番組を見ていると、日本の行く末が心配になる。昭和30年代に、日本の人口がこのまま増加し、1億人を突破すれば、この小さな国土で養えないと心配した頃がなつかしい。

 それでは、日本の歴史の中で、人口減少時代がなかったかといえば、実は18世紀がそれに当たる。18世紀初頭は、元禄関東大地震津波(1703年)宝永大地震津波(1707年)富士山大爆発(1707年)と大災害が続き、それに加え幕府の財政危機と、今と時代状況が酷似している。この状況を打破したのが、徳川8代将軍吉宗で、その功績により徳川幕府中興の祖と言われている。吉宗は度々テレビ等で登場するが、その裏の顔は意外と知られていない。それは、ドラマの中の吉宗からは想像できないが、農民を苦しめた大増税将軍としての顔である。


 18世紀の人口減少社会を救ったヒーローは、前半は吉宗後半は田沼意次と考えているが、意次は吉宗と反対に、ワイロ政治家としての一面だけが強調されているが、商工業を育て日本の近代化の基礎を作った政治家として、もっと評価されてしかるべきである。意次が活躍した時代、海の向こうのイギリスでは産業革命が起こっている、田沼意次の再評価が待たれる。

 この所、人口減少の社会・経済面のマイナス部分だけが強調されるが、自然災害が多発する現状を見ればプラスの側面もある。それは、人口増加によって危険な場所に住まざるをえなかった住民を、より安全な場所に住むことができる、国土利用の転換をはかる、よい機会になることを忘れてはならない。

  • ohuchi8
  • 2016年8月31日
  • 読了時間: 2分

8月2日、河北新報の“声の交差点”に「若林城跡を観光名所に」と題した、私の投稿が掲載されたので、何が不都合な現実なのか、ご理解いただければ幸いです。ご一読下さい。



 『昨年7月、NHKの番組「ブラタモリ」を見て、伊達政宗公の晩年の居城「若林城」の跡が宮城刑務所(仙台市若林区古城)になっていることに、改めて違和感を覚えた。

 宮城刑務所の前身の宮城集治監が建てられてから137年。今では周りを住宅に囲まれ、建設当時の状

況とは様変わりしている。敷地内に名木「臥龍梅」や「蟠龍の松」があるが、市民が気軽に立ち寄って見ることができない。こうした不都合な状態を変えるには、公園化することが望ましいと思う。

 城跡が刑務所になっているのは、全国でもここだけであり、決して誇るべきことではない。若林城が今後も刑務所として存続するのが良いのか、考える時期に来ているのではないだろうか。

 7月1日に仙台空港が民営化され、海外からの観光客増加が期待されている。奇しくも宮城刑務所内の2本の名木には、中華圏の人々が好きな「龍」の文字が入っている。この歴史的遺産をこのまま眠らせておくには、誠にもったいない。

 2035年の伊達政宗公400回忌までには、若林城跡を、市民や観光客が訪れる名所として蘇らせたいものである。』



この投稿は、不都合な現実から理想の城跡への道標になればと思い書きました。そして、このような問題があることを、多くの人に知ってもらえれば、嬉しい限りです。将来、若林城跡がそれにふさわしい施設として、蘇生されることを願う一人です。 先日も、東北6件の知事が台湾を訪れ観光PRを行っていましたが、同時に魅力ある観光地を生み出す努力も必要です。この2本の名木は、貴重な観光資源として、訪日観光客を引き付ける役割を、十分担うことができると考えています。この不都合な現実を折に触れ、これからも様々な所でお話したいと思っています。


注;音で「蟠」は漢音で「ハン」、呉音で「バン」と読む。意味は「龍のくねる姿」を表す。

  訓で「わだかま」ると読む。意味は「不平・不満などが解消されないで残る」こと。

  • ohuchi8
  • 2016年7月30日
  • 読了時間: 2分

更新日:2025年1月7日



7月1日、仙台空港が国内で初めて民営化され、東北の空の玄関としての役割が期待されている。東北は、訪日観光客数で、全国に大きく遅れを取り、インバウンド効果の恩恵に、まだ与ることができていない。東日本大震災や原発事故の影響があったにせよ、余りに寂しい現状である。

 先月、函館と高野山を訪れる機会があったが、外国人観光客の多さに驚いてしまった。函館の五稜郭では、中国人観光客が多かったので、タクシーの運転手さんにその理由を聞くと、中国の多くの主要都市との間に、国際便が飛んでいるとのことであった。東北の空港との差に、愕然とさせられる旅であった。

 一方、高野山は様々な言葉が飛び交う、国際色豊かな場所であった。標高千メートルの山深い盆地に開けた仏教都市は、多くの寺院が立ち並び、広大な墓地に20万基を超える墓石が立ち、壮観な光景であった。墓地には、織田信長や豊臣秀吉といった歴史的人物のお墓が数多くあり、その中には伊達政宗公の一周忌に立てられた巨大なお墓もあった。お墓の前には鳥居が立てられ,神仏混交の世界を垣間見ることができ、学ぶことの多い旅であった。

 地元、仙台の観光名所といえば、政宗公縁の青葉城や瑞鳳殿であるが、もう一ヶ所、忘れてはならない場所がある、それは若林城である。現在は、宮城刑務所になっていて、「るーぷる仙台」(市内観光バス)のコースに入っていないが、刑務所内には二本の名木が眠っている。その名木とは、「臥龍梅」と「蟠龍の松」で、奇しくも中華圏の人が大好きな、「龍」の文字が入っている。この歴史的遺産を生かすには、若林城を公園化し、一般の人が自由に見られるようにすることである。そうすれば、仙台の観光名所として、「るーぷる仙台」のコースにも入れることができるだろう。

 東北には、若林城のように観光資源として眠っている、多くの歴史的遺産があると思っている。震災からの復興を後押しするためにも、これからの主要産業となる観光にもっと目を向け、本腰を入れなければならない。

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