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  • ohuchi8
  • 2015年6月28日
  • 読了時間: 2分

6月6日、日蓮聖人生誕の地、千葉県南房総へ2泊3日の行程で、団参を行った。午前7時に本国寺を出発し、3月に全線開通した常磐自動車を通り、一路最初の目的地小湊誕生寺を目指した。途中、原発事故のあった双葉町を通過する時には、5ミリシーベルトの地域もあり、原発事故の影響の大きさを、改めて実感した。この日は、日蓮聖人生誕の地である誕生寺、そして日蓮聖人の両親のお墓がある妙蓮寺を参拝し、清澄寺研修会館に宿泊した。次の日は、早朝3時半に起床し、日蓮聖人が初めてお題目を唱えた旭が森でご来光を拝み、その後清澄寺の朝勤に参加した。日蓮聖人ゆかりの三ヶ寺で法話をいただき、聖人の往事を偲ぶことができ、檀信徒一同にとって有意義な参拝になった。


お寺巡りの次は、もう一つの楽しみである宝塚歌劇鑑賞のため、東京宝塚劇場を目指した。参加者全員が、初めての観劇ということもあり、興味津々であった。それにしても、宝塚の熱狂的なファンが醸し出す独特の雰囲気には、圧倒された。女性だけで、これだけの舞台を作り上げてきた、先人の努力には敬服する。この盛況を見れば、創始者である小林一三も草葉の陰で、さぞ満足していることだろう。この日は、お台場のホテルに宿泊したが、外国人の多さと同時に、東京オリンピックの主会場となる湾岸地域の変貌には驚かされた。


最終日は、隠れた名所である大宮盆栽村を訪れ、大宮盆栽美術館を見学したが、見事な盆栽の数々に見とれてしまった。その説明の中で、「神舎利」(じんしゃり)という言葉があり、興味をそそられた。盆栽用語で、枝の枯れて白くなったのを神、幹の枯れて白くなったのが舎利という。これが盆栽の見所の一つで、「神舎利」の芸で評価が大きく変わるということである。盆栽の妙味とは、神と舎利(仏)のコラボレーションにあるようだ。それは、日本の宗教の神仏習合の世界を表現しているようで、盆栽の持つ奥深さを学んだ一日であった。


今回の団参は、天候にも恵まれ、実り多き3日間であった。檀信徒の皆様ご苦労様でした。

  • ohuchi8
  • 2015年5月31日
  • 読了時間: 2分

5月29日、口永良部島が噴火・火砕流が発生し、130人余りの島民が全島避難した。全国あちらこちらで、噴火の危険が報じられる、今日この頃である。先月も、蔵王山や箱根山の噴火の可能性が指摘され、風評被害を受けた地元経済に、大きな打撃を与えている。その、風評被害にたまりかねた黒岩神奈川県知事が、先日「箱根山」の表記を「大湧谷周辺」といった表現にして報じるよう、報道機関に協力を呼びかける記事が、神奈川新聞に掲載された。


これには前段がある。箱根町長や地元選出の国会議員から、「箱根山」と表記すると箱根全体が危険だと風評被害を招きかねないとして、「大涌谷火口周辺」などに変更できないかという要請を受けた太田国交大臣が、所管する気象庁が出す火山情報を検討する旨を、述べたことを受けている。この問題は、これから全国各地で起きる火山活動に対する表記の仕方に、一石を投じた。


箱根は、日本有数の観光地だからこそ、国交大臣が取り上げたのだろうが、どのような結論が出るのか、興味深い。もし、この表記変更が認められるのなら、宮城・山形両県にまたがる「蔵王山」の表記も「お釜周辺」と表記可能となり、風評被害もかなり軽減できるだろう。これから火山情報を、どのように発信するのかを考えるよい機会になる。自然災害は、地球の営みと人間の営みを、どのように折り合いを付けるのかを、問いかけている。


ネット社会は、何でも有りの社会であり、それに対応するには、迅速かつ正確な情報提供が求められる。それが、風評被害を最小限にする、唯一の方法である。それと同時に、情報を表記する上で、風評被害を想定した、最大限の配慮が求められる。

  • ohuchi8
  • 2015年5月1日
  • 読了時間: 2分

4月28日、当山春祭り『立教開宗会』の法要が、厳修された。この日は、日蓮聖人が清澄山(千葉県)において初めてお題目を唱えた記念日である。あれから、763年の歳月が流れた。念仏全盛の時代、勇気を持ってお題目を唱えた日蓮聖人の決断がなければ、今日の日蓮宗は存在しない。

日蓮聖人が布教した鎌倉時代は、新仏教が花開いた、輝かしい時代であった。年代順にいえば、浄土宗の開祖法然(1133-1212)、臨済宗の開祖栄西(1141-1215)、浄土真宗の開祖親鸞(1173-1262)、曹洞宗の開祖道元(1200-1253)、日蓮宗の開祖日蓮(1222-1282)と、現代に続く五大宗派が誕生した。平安時代の、天皇を中心とする貴族仏教が衰退し、新興勢力の武士を中心とする社会の幕開けと共に、庶民仏教が興隆した。

歴史とは、時代の変化や出来事を学ぶ学問といわれるが、中国に学んだ天台宗の開祖最澄(767-822)、そして真言宗の開祖空海(774-835)から400年、中国仏教に習った仏教が、日本化された仏教への大変革がなされた。この400年間は、中国仏教が日本独自の仏教に育つ熟成期間であったといえる。

日蓮聖人は、鎌倉新仏教の開祖の中では最後に登場したが、その特徴は二度の元寇を経験した事である。元寇とは、日本にとって最大の国難、文永の役(1274)弘安の役(1281)を指す。この戦いは、当時の日本人にとって国の存亡をかけた、元と高麗連合軍との戦であった。

1260年、日蓮聖人が『立正安国論』を述作し「他国侵逼の難」つまり他国に侵略される危険があるとの忠告を鎌倉幕府に進言した。この14年後に、見事に予言は適中した。この出来事が、後に予言者日蓮といわれる由縁となったのである。

中国と韓国に歴史問題で攻められている日本の現状は、当時の構図によく似ている。歴史は繰り返すのか、大変興味深い。

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