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  • ohuchi8
  • 2011年12月28日
  • 読了時間: 2分

今年は、3月11日の大地震大津波、それに続く原発事故と散々な年であった。


 災害は忘れた頃にやって来ると言われるが、このトリプルパンチは閉塞感漂う日本に衝撃を与えた。地震津波は自然災害と諦めもつくが、原発事故は、間違いなく人災である。東京電力は、安全神話を作り、どの国語辞典にも載っていない想定外という言葉で釈明するが、一番大切な電気を作れなかった。電気を作るプロなのに、全電源を喪失させ、原子炉を冷却できずにメルトダウンさせ、建屋を水素爆発で吹き飛ばし、放射性物質を福島の空にばらまいた。

 この罪は、未来永劫語り継がれるだろう。26日、福島第一原発事故調査・検証委員会から「原子力事業者として極めて不適切だ」とする中間報告がなされたが、徹底解明が待たれる。これだけの事故を起こして、想定外ですまされる話ではない。


 想定外といえば、石巻市の大川小学校の悲劇が思い起こされる。先月、大川小学校を訪れ、祭壇にお線香を手向け、現場を見ているので、親の無念さがよくわかる。素直に、体育館の裏山に逃げていれば、助かっただろうにと思ってしまう。しかし、あの時海岸から4キロ上流に位置する小学校まで津波が来ると、予想するのは困難だったのかも知れない。その上、校舎は北上川が見えない低地に建てられ、悪条件が重なっていた。本来一番注意しなければならない、川の見張りを怠った事が悔やまれる。川の状況が分かれば、もっと迅速に的確に逃げられたのではないか。それにしても、なぜ山の方ではなく川の方に避難しようとしたのか、疑問が残る。

 いかに想定外の津波とは言え、余りに多くの犠牲者を出してしまった。これを教訓に、地震津波対策をより充実させなければならない。


 想定外とは、「考えが及ばない時態」である。そんな時代を生き抜く、覚悟が求められる。

  • ohuchi8
  • 2011年10月31日
  • 読了時間: 2分

10月29日、先月注文していた放射能測定器が、ようやく手元に届いた。


 早速、お寺の内外を隈なく測定した結果、本堂が0.05マイクロシーベルト、墓地が0.07マイクロシーベルトだったので一安心した。ホットスポットが、200Km以上離れた地域で数多く見つかったので、放射能測定器の購入を決めたが、それにしてもこんな心配をしなければならない世の中は異状である。この原因をつくった東京電力は、深く懺悔しなければならない。「おごる平家は久しからず」と昔から言われてきたが、東京電力は現代版平家である。

 先日のプロ野球ドラフト会議を見ながら、読売巨人も東京電力と同じような企業体質なのだと、つくづくと思った。一昨年の長野、昨年の沢村とドラフト1位指名候補選手に、絶対巨人と言わせ続け単独指名を勝ち取った。それに味をしめて、今年も原監督の甥である菅野投手を、同じ手口で獲得しようとしたが、柳の下に三匹めのドジョウはいなかった。東京電力は原発絶対安全神話を、読売巨人はプロ野球絶対巨人神話の創出に失敗し、天罰が受けた。両者に共通するのは、電力業界の盟主、プロ野球界の盟主という驕り体質である。

 なにをやっても許されるのであれてば、神も仏もいない事になる。世の中は騙せても、神仏は騙せない。道理を外れれば、必ず天罰が下るのである。今の日本人は、目に見えない存在に畏敬の念を持つことを、忘れている。放射能汚染問題は、皮肉ではあるが、目に見えない存在を恐れる、よいきっかけになればと思っている。


 放射能を恐れるように、神仏を恐れる心を大切にしなければならない。その心がなければ、社会はますます乱れ、殺伐とした世の中になってしまうだろう。

  • ohuchi8
  • 2011年9月29日
  • 読了時間: 2分

9月27日、震災後初めて津波で甚大な被害を受けた女川町を、東日本大震災特別研修会で訪れた。


 鉄筋コンクリート製ビルが横倒しになっている光景は、テレビの映像では知っていたが、改めて津波の凄さを思い知らされた。中心部に建っているビルは数える程であり、使用されているビルはなかった。研修会は、高台にある女川運動公園内の仮説集会所で開催されたが、運動場すべてに仮設住宅が立ち並んでいる姿は、壮観ではあるが痛々しくもあった。しかし、それでも不足しているようで、傍らでは二階建や三階建の仮設住宅が建設中であった。何とか町を再建しようと頑張っていたが、メインである漁業・水産加工業が壊滅した町を復興させるのは、容易なことではなさそうだ。

 復興には、女川原発の存在を抜きにしては語れない。高齢化・過疎化が進む町にとって、再稼動させるのか廃炉にするのか、悩ましい問題である。経済的な事を考えれば再稼動なのだが、福島第一原発事故の放射能汚染の深刻さを知れば、そう簡単な話ではない。原発に頼りつつ将来は頼らない、賢明な中長期ビジョンを画けるかが、カギとなる。リスクを取りながらの復興は、絶妙な舵取りが要求される。女川原発を望む浜に立つと、その圧倒的な存在感、もう一方では巨大な迷惑施設という、相反する妙な気持ちになる。妙な気持ちにさせる女川原発、生かすか殺すか、女川町に難しい判断が迫られている。


 この浜での特別研修会は、日蓮聖人の言葉「妙とは蘇生の義也」の意義を自問自答させられた、有意義な一日であった。

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