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熊本地震

2016年4月30日
読了時間: 2分

4月14日16日の両日、熊本は九州地方では初めて、震度7の大地震に襲われ、名城熊本城をはじめ県内各地に、多大な被害が出た。その惨状を見て、5年前の東日本大震災の体験が蘇った。あの地震が来た時、最初は40年周期の宮城沖地震がついに来たかと身構えたが、揺れが1度で終わらず2度3度と襲い、今までに感じたことのない恐怖を覚えたことを、思い出した。揺れが収まった後、一番先に心配したのが、女川原発は大丈夫なのだろうかという事であった。まさか、あんな大きな津波が来るとは、予想だにしなかった。日本は地震大国、全国何処にいても地震への備えを怠ってはならないことを、日本人に教えてくれた熊本地震であった。

 数年前、九州の人間に東日本大震災の体験を話したが、九州は地震が少ないせいか地震には興味がないように見受けられた。今回の惨状を見ると、倒壊しているほとんどの家が、瓦屋根であった。仙台では、38年前の宮城沖地震で多くの瓦屋根の家が被害を受けたので、その経験から瓦屋根はほとんど姿を消した。墓石も同じように、タテ型からヨコ型が多くなり、東日本大震災以降はヨコ型が主流になっている。

 九州は、桜島・雲仙・阿蘇と火山活動が活発な地域で、有名な温泉地も多く、地震がない方が不思議であった。よく、空白域は気を付けろと言われるが、今回はこの教訓が現実となってしまった。熊本県のWebサイト「企業立地ガイドKUMAMOTO」では、熊本は地震の「安全地帯」、東北は「危険地帯」とアピールしていた。このWebサイトを見ると、熊本県の地震対策が疎かにされてきたことが窺える。熊本地震は、2週間余りで震度1以上の余震が千回以上と、過去に例の見ない経過をたどっている。これは、地震経験の少ない熊本県民にとって悪夢でしかないだろう、これからどうなるか川内原発と共に心配である。

 熊本は、加藤清正の城下町、熊本県民にとってかけがいのない人物である。日蓮宗にとっても加藤清正公は、熱心な法華経信仰者として有名であり、九州寺院を中心に清正公(せいしょうこう)信仰が盛んである。この大難に清正公の御加護あらんことを祈念してやまない。

 
 

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