top of page

舛添劇場

  • 2016年6月26日
  • 読了時間: 2分

6月21日、舛添東京都知事が、政治資金の公私混同問題を追及され、責任を取って辞職した。この2ヶ月余り、マスコミを賑わした舛添劇場も、ようやく幕を下ろしたが、まだまだ尾を引きそうである。しかし、こんな小額な政治資金の使い途で、日本一財政が豊かな東京都の首長が辞職に追い込まれるとは、何とも皮肉である。

 舛添氏は、天下国家を論じ舌鋒鋭く追及する論客として、一目置かれる国際政治学者であった。そんな舛添氏が、なぜこんなせこい政治資金の使い方をするのかと、今までの言動の落差に驚いてしまった。この姿を見て、多くの有権者もさぞビックリしたことだろう。身から出たサビといえ、何ともサビしい話である。

 それにしても舛添氏の説明は、一生懸命やればやるほど滑稽で、ツッコミ所満載であった。政治資金の話をする会見場が、生活資金の家計消費調査になってしまい、摩訶不思議な光景となってしまった。馬脚を現したといえばそれまでだが、有能な政治家と思われていただけに、残念な結果になってしまった。

 「実るほど頭をたれる稲穂かな」(小人物ほど尊大にふるまい、すぐれた人物になればなるほど謙虚になる)の故事に習い、最初に頭を下げ謙虚に謝罪していればこんな大事に至らず、辞職にまで追い込まれることもなかっただろう。説明責任を果たすことの難しさを、改めて痛感させられた出来事であった。今では、不祥事を起こした政治家や企業トップは、必ず説明責任を求められるが、この言葉が一般的に使われるようになってから、実はまだ日が浅い。

 説明責任の出自は、22年前に出版されたオランダ人ジャーナリスト、カルヴァン・ウォルフレン著『人間を幸福にしない日本というシステム』の中に書かれた「アカウンタビリティー」が語源である。アカウンタビリティーとは、「権力者が市民に対し説明することの責任」であり、適当な日本語訳がないと書かれていた。それが、小泉政権の時「説明責任」という日本語となって使われ始め、今日に至っている。執拗に説明責任を求められ、それを果たせず辞任した舛添東京都知事にとって、説明責任が鬼門となってしまった。

 「説明責任」が、日本の民衆主義に必要不可欠の言葉に成ったことに、感慨を覚える今回の舛添劇場であった。

 
 

最新記事

すべて表示
山上裁判と総選挙

1月21日、奈良地裁で開かれた安倍元首相の銃撃事件の裁判で、山上哲也被告に検察側の求刑通り、無期懲役の判決が言い渡された。弁護側の「宗教が関わった虐待の被害者であるという視点が不可欠だ」という主張は退けられ、検察側の「幼少期に不遇だったことは認めるが、犯行とは無関係」という主張が通り、検察側の全面勝利となった。裁判長は、安倍氏については「落ち度は何ら見渡らない」と総括し、山上被告の都合を優先した銃

 
 
山上被告裁判2

12月18日、安倍晋三元首相が2022年7月8日奈良市で銃撃殺害された事件で、殺人などで罪に問われた山上徹也被告の裁判員裁判が結審し、検察側は無期懲役を求刑した。しかい、弁護側は山上被告が旧統一教会に翻弄された生い立ちや悲惨な境遇を考慮すれば、「最も重くても懲役20年までにとどめるべきだ」と主張した。今回の裁判は、宗教団体の「宗教2世」による元首相の殺害という、戦後史に前例がない事件だけに、量刑が

 
 
山上被告裁判

11月20日、安倍晋三元首相の裁判員裁判第10回公判が開かれ、山上徹也被告への初めての被告人質問が始まった。山上被告は、「私たちは統一教会に家庭を破壊された」そして、「家族の人生が翻弄され、教団への復讐心を強めた」と証言した。11月25日の第2回目の証言では、安倍元首相が旧統一教会の友好団体にビデオメッセージを寄せた事が、引き金になったと述べた。それは、統一教会が社会的に認められてしまうという絶望

 
 
bottom of page