「不惜身命」
- 2022年3月31日
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3月24日、ウクライナ戦争が勃発してから一ヶ月、プーチン大統領の思惑は外れ、戦闘は長期化泥沼化の様相を呈している。テレビには、連日ロシアの無差別攻撃が映し出され、ウクライナの悲惨な状況が伝えられている。プーチン大統領は、旧ソ連の秘密警察KGB出身なので、この組織の体質である暴力に頼り、国際法を無視し、噓を真実と語る冷酷さを、戦争を通して体現している。それにしても、常任理事国のロシアによって、19世紀の力による領土拡大戦争が起こされるとは、青天の霹靂である。 先月、ロシアによるウクライナ侵攻が始まった時には、首都キエフは数日で陥落するといわれたが、まだ攻略できていない。この状況を作り出したのは、ゼレンスキー大統領が危険を顧みず、キエフに留まり国民を鼓舞し続けたことが大きい。そして、大統領がロシアに命を狙われているという情報が拡がり、米国が国外脱出を打診した際に、「必要なのは乗り物(脱出手段)ではなく、弾薬だ」と言い、断固戦う姿勢を示し国民そして世界を動かした。これによって、国民の士気が上がり、NATO諸国も本格的にウクライナ支援に乗り出したのである。 しかし、日本ではテレビやネットで人命が大切なので、すぐに白旗を上げ降伏すべきというコメンテーターや知識人がいて、平和ボケ日本を象徴していた。今の日本人は、生命以上に大切なものがあることを、忘れているのではないだろうか。宗教界には、「殉教者」と言われる人々がいて、生命をかけて信仰を守ろうとした。法華経には、「不惜身命」(身命を惜しまず)の言葉がある。その意味は、「命にまさる財(たから)はないが、その至尊の生命を投げ出しても、至極の信仰を守る」尊さを教えているのである。日蓮聖人は、「大難四ケ度小難数知れず」と述べ、生命をかけて法華経信仰を貫いた。その結果が、八百年続く日蓮宗となっている。 日蓮聖人の「不惜身命」の信仰がなければ、現在の日蓮宗が存在しないように、ウクライナ国民が「不惜身命」の決意で国を守ろうとするならば、尊重しなければならない。安全な日本にいる人間は、軽々に降伏すべきなどと言うべきではないと思っている。