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ふるさとの現実

  • 2012年1月27日
  • 読了時間: 2分

1月19日、昨年6月に亡くなった父の生まれ故郷、福島県楢葉町の親戚を、避難先のいわき市に訪ねた。


 楢葉町は、原発事故により役場ごと120キロ離れた会津美里町に集団避難していたが、17日ようやく近くのいわき市に移転してきた。父の葬儀の時、連絡がつかずお知らせできなかったので、報告を兼ね三年ぶりの訪問になった。いわき市を訪問する途中、どこまで楢葉町に近づけるか行ってみたが、隣町の広野町にあるJビレッジまでしか近づけなかった。Jビレッジは、日本サッカーのメッカで、広大な敷地を有しているが、福島第一原発に向かう作業員の車で、一面駐車場と化していた。放射線量は0.4マイクロシーベルト程で、福島市や郡山市より低いので一安心した。

 その夜は、親戚の人達と夕食を共にしながら、現状と将来について話を聞くことができた。近々、避難指示解除準備地域に指定されるとの事で、その準備作業が本格的に始まったところであった。そんな準備作業の話を聞きながら、いつ頃町に戻れるのかを問うと、当分戻れないのではないかという答えであった。一番の問題は、除染が進み線量が低くなったとしても、はたして若い人達が町に戻るかということである。若い人達が戻らなければ、年寄りだけの限界集落になり、町の再建は難しいという厳しい現実であった。

 父のふるさとが復興するには、解決しなければならない多くの課題があり、長い年月が必要な事だけはよく理解できた。思えば、父が本国寺を作るのに半世紀の時間を要したように、これから、草野家の人達にも、父と同じような艱難辛苦の日々が待ち受けている事は確かである。


 この苦しい日々から、いつか笑顔を取り戻せる日が来るのを願うばかりである。

 
 

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