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歴史に学ぶ

2013年4月30日
読了時間: 2分

4月28日、1952年のサンフランシスコ講和条約発効から61年を迎え、政府主催の「主権回復・国際社会復帰を記念する式典」が、賛否両論ある中開催されたが、当山では多くの檀信徒参加して、毎年恒例の立教開宗会を執り行った。立教改開宗会とは、日蓮聖人が1253年4月28日千葉県房総半島の清澄山において、旭日を拝しお題目を十唱したことを記念する式典である。


あれから761年、当時の日本の置かれた状況は、中国の脅威にさらされてている、今の日本に似ている。中国はモンゴル帝国に侵略され、その影響が日本にも及び始めた。その後、モンゴル帝国は中国を占領し、フビライの時中国は「元」となり巨大な中国となった。その勢いをもって、1274年3万の軍勢で襲来(文永の役)、1281年14万の軍勢で襲来(弘安の役)と2度の日本征服計画が実行された。しかし、元軍が海戦に不慣れだったこと、日本の武士達が奮戦したこと、暴風雨が来たことによって、この計画は失敗した。この襲来の予言書となったのが、1260年に日蓮聖人によって書かれた『立正安国論』である。


鎌倉時代の日本の総人口は、今の千葉県と同じ600万程、かたや「元」の総人口は9000万といわれ、15倍の人口があった。そんな国と私達のご先祖が戦ったことを忘れてはならない。現代の日本人が、人口比をもって中国を恐れては、ご先祖にも申し訳ない。4月28日は、鎌倉時代の日本人の気概を忘れない、記念日にしなければならない。


歴史に学ぶことは、今を考える上で、非常に大切である。

 
 

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