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  • ohuchi8
  • 2018年6月30日
  • 読了時間: 2分

6月28日、ワールドカップH組の第3戦ポーランド戦が行われた。決勝トーナメント進出をかけた大一番は、日本が0-1で敗れた。しかし、フェアプレーポインットでセネガルを上回り予選リーグを突破し何とかベスト16に生き残った。試合内容は主力を休ませたせいか、連携が悪くチグハグな攻撃で無得点に終わった。最後の10分間は、「パス回し」に終始し、大ブーイングを浴びてしまった。


しかし、西野監督が取った大胆な戦術は、世界から批判を受けたが、結果的には正しかった。2年前の「ドーハの悲劇」を知る者にとっては、日本サッカーの成長を見る、よい機会であった。あの時、今日のようにしたたかに戦っていれば、ワールドカップ初出場がかなったはずである。イラクとの最終戦は、2-1とリードしながら終了間際にセットプレーで追いつかれ、「ドーハの悲劇」として今なお語り継がれている。


今回の日本代表は、悪質なファールをしたわけでもなく、相手へのリスペクトを欠いたわけでもなく、なぜ批判されなければならないのかよくわからない。「パス回し」は,あくまで決勝トーナメントに進む為の戦術でしかない。批判される10分間の「パス回し」は、「ドーハの悲劇」の経験が生きたともいえる。もし、セネガルが1点を取り引き分けで終われば、「ヴォルゴグラートの悲劇」として語り継がれることになっただろう。それにしても、西野監督の勇気と決断、そして勝負強さは神がかっている。


今回批判されている「パス回し」戦術を取れたのは、ファール数が参加国最小「28」だったからで、韓国の最多の「63」ならば、フェアプレーポイント勝負には持ち込めなかった。28日のポーランド戦は、「負けるが勝ち」(時には、あえて争わずに相手に負けたことにしておいた方が、結果的には有利となり勝ちに結びつくことがある)の格言そのものズバリで、大変勉強になるゲームであった。西野監督には拍手を送りたい。

  • ohuchi8
  • 2018年5月31日
  • 読了時間: 2分

5月28日、ヤンキースの田中将大とエンゼルスの大谷翔平の夢の対決が、5年ぶりにヤンキースタジアムで実現した。2013年、田中は24勝0敗と前人未到の記録を打ち立て、楽天イーグルスを日本一に導き、星野監督を男にした。一方、大谷は鳴り物入りで日本ハムファイターズに入団し、新人として田中と対決し11打数0安打と完全に抑え込まれた。

あれから5年、今回の対決は日本だけでなくアメリカでも注目を集めたが、大谷の3打数2三振1四球とまたもや田中に軍配が上がった。この二人の対決は、これからも目の離せない興味の尽きない、名勝負になるだろう。それにしても、アメリカに渡って1年目の二刀流大谷が、これほどまでに活躍するとは、本当に驚きである。そして、田中マー君には、最後は楽天に戻って投げてほしいと思っている。

今年の楽天は、ダントツの最下位で何ともさびしい成績である。昨年の今頃は、ダントツの首位で気分は最高だったが、今年はストレスのたまるシーズンで気分は最悪である。チーム打率とチーム防御率はリーグ最下位、つまらないエラーと、創成期の楽天に逆戻りである。その中で目に付くのが、ショート茂木の守備である。もともと本職ではないのでしかたのない面もあるが、そろそろ打撃をいかすためにも、聖沢や岡島に刺激を与える意味でも、外野にコンバートしてもよいのではないだろうか。

明日から6月、ツキも変わり交流戦も始まったので、これからの巻き返しに期待したい。せめて最後は、クライマックスシリーズに出てほしいと願っている。そんな楽天を応援しようと、長年の夢であった山門を建立中で、12月には完成予定である。名前は「霊鷲門」(りやうじゅもん)といい、イーグル「鷲」が入っている。お釈迦様が、法華経を説いたインドの霊鷲山にあやかり命名したが、「鷲」という漢字が入り楽天との縁を感じたのも理由である。

このような縁で、将来楽天ファンが当山にお参りしてくれるようになり、また日本一になれれば望外の喜びである。

  • ohuchi8
  • 2018年5月1日
  • 読了時間: 2分

4月28日は日蓮宗の誕生日である。日蓮聖人は、766年前初めて千葉県清澄山でお題目唱えた。当山では、それを祝し檀信徒と共に立教開宗会を厳修した。日蓮宗の依経である法華経は、女人成仏を説いたお経として有名である。そしてこの日、女人禁制を巡り世間から非難されている、日本相撲協会の理事会が開催された。その結果、これまで伝統としてきた女人禁制について、アンケートを実施することを決めた。どのような結論が出るのか注目である。

土俵の女人禁制が問題にされたのは、4月4日京都府舞鶴市での春巡業の最中、土俵上で倒れた市長の介護の為、土俵に上がった女性に対し、若い行司が「女性の方は土俵から降りて下さい」と繰り返しアナウスし、その非常識さを批判された。また2日後には、兵庫県宝塚市の女性市長を土俵下で挨拶させたことも、非難されてしまった。これら一連の女性差別の出来事によって、日本相撲協会は伝統の見直しせざるを得ない状況に追い込まれた。

歴史的にみれば、女人禁制は宗教界に広く存在したが、今ではほとんどなくなり残っているところは稀で、その一つが日本相撲協会である。それでは、なぜ女人禁制なのかといえば、それは神仏の永遠性に由来する。神仏は永遠なので、生まれることも死ぬこともないという理屈である。故に、出産や葬儀は永遠性を否定するものとして、ケガレとされてきた。今もその伝統が残っている場所は、日本三景の一つである神の宿る島、安芸の宮島である。宮島では、今でも出産と葬儀は本州に渡って行い、島内では行われない。厳島神社の神様は永遠なので、生まれたり死んだりしたのではまずいのである。女性は、出産に係るということで差別されてきたが、ある意味言いがかりである。

日本相撲協会は、土俵の神様が女性なので、女性を土俵に上げると神様が嫉妬するから女人禁制であると説明するが、どうもよくわからない。こんな理由では、女性の大相撲ファンがこれだけ多い時代、女人禁制をを正当化するのは難しいだろう。全国の神社仏閣で、女人禁制を守っている所はがほとんどなくなってしまった今、日本相撲協会もそろそろこの看板を降ろす時期に来ている。

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