11月20日、安倍晋三元首相の裁判員裁判第10回公判が開かれ、山上徹也被告への初めての被告人質問が始まった。山上被告は、「私たちは統一教会に家庭を破壊された」そして、「家族の人生が翻弄され、教団への復讐心を強めた」と証言した。11月25日の第2回目の証言では、安倍元首相が旧統一教会の友好団体にビデオメッセージを寄せた事が、引き金になったと述べた。それは、統一教会が社会的に認められてしまうという絶望と危機感と、「韓鶴子(統一教会総裁)に敬意を表します」の一言であった。安倍元首相にすれば外交辞令のつもりだったのだろうが、山上被告にとっては許し難いメッセージとなった。 安倍元首相と統一教会は、祖父岸信介元首相・父安倍晋太郎元外務大臣と3代に渡り、半世紀以上続く緊密な関係があった。それは、「反共」(共産主義に反対)という共通理念の結びつきであったが、自民党にとっても選挙運動を熱心に手伝ってくれる便利な存在であった。しかし、この銃撃事件によって旧統一教会との関係が、白日の下に晒されることとなった。それにしても、旧統一教会の一家を破滅させ、「宗教2世」生み出した高額献金には驚くばかりで、これを黙認してきた政治やマスコミは、大いに反省しなければならない。 本来宗教は、人を幸福にする為に存在するはずだが、旧統一教会は、信者に高額献金を要求し、本人だけではなく家族を巻き込み、家庭を破壊させる。山上家の悲劇は、他人ごとではなく「他山の石」としなければならない、自分は大丈夫という過信は禁物である。もし、危なそうな宗教に出会った時は、「敬遠」する事が肝要である。 それでは、なぜ安倍元首相の銃撃事件まで、旧統一教会問題が大きくならなかったかと言えば、オウム真理教の存在が大きかった。1980年代旧統一教会の霊感商法が問題になった時があったが、オウム真理教の派手な活動が世間の注目を浴び、旧統一教会の問題はいつのまにか忘れ去られてしまった。しかし、悪事はいつか露見するもので、「宗教2世」が安倍元首相を銃撃殺害するとは、思いもよらなかっただろう。 山上被告の被告人質問は、後3回あるのでそこで何を語るのか注目である。

10月21日、衆参両院本会議の首相指名選挙で、高市早苗氏が第104代首相に選出された。明治18(1885)、初代伊藤博文首相から140年、憲政史上初の女性首相が誕生した。高市新首相には、信奉する「鉄の女」と言われた英国のサッチャー元首相を目標に、頑張ってもらいたい。前回の首相選挙では、本命と言われながらも石破茂前首相に破れたが、今回は本命と言われた小泉進次郎氏を破り、念願の首相の座を射止めた。トランプ大統領との関係も安倍元首相の遺産を引継ぎ、良好な関係を築けそうである。 高市新首相は奈良県出身、師と仰いだ安倍元首相が銃弾に倒れたのも奈良県、仏縁というか不思議な巡り合わせである。前回、高市首相が決選投票で敗れた原因に、「首相になったらすぐに靖国神社を参拝する」という一言が致命傷になったと言われている。確かに、安倍元首相も就任後すぐに靖国神社に参拝した。しかし、その後米国を訪問した折、オバマ元大統領に激しく非難され、二度と参拝することはなかった。 それでは、なぜ米国は靖国神社参拝を非難するのかと言えば、それは昭和53(1978)年に靖国神社がA級戦犯14名を、英霊として合祀したからである。米国にすれば、A級戦犯を英霊とすることは、太平洋戦争の責任を誰も取らないことを意味する。ドイツは、ヒトラーという明確な戦犯がいるが、日本はA級戦犯を英霊にして、戦争責任を有耶無耶にしたので、無責任な国とみなしたのである。後日、安倍元首相は中国や韓国が反発するのは予想できたが、米国の反発が一番きつかったと語っていた。 それでは、なぜ靖国神社が昭和53(19778)年にA級戦犯14名を合祀したのか、そこには日本人の宗教観がある。昭和20(1945)年に戦死した兵士の第33回忌は昭和52(1977)年で、これで禊ぎが終ったと考えたので、次の年に合祀に踏み切ったのだろう。確かに、第33回忌は弔い挙げ・弔い修めといい、年回法要として一区切りである。しかし、これは日本人の宗教観であって、外国人に理解させることは難しい。A級戦犯を合祀するには、第33回忌では早すぎる。せめて戦争関係者がすべて亡くなった第100回忌が終わってから、合祀すべきと考えていた。 高市新首相には、安倍元首相の教訓に学び在任中は靖国神社参拝を、控えてもらいたいと思っている。
9月18日、来月の知事選で6期を目指す村井宮城県知事は、県内に土葬墓地の整備を検討してきたが、唐突に「検討自体を撤回する」と県議会で表明した。その理由として、県内全部の市町村長に意思確認をした結果、すべて拒否されたことを挙げた。知事は、県議会や県民の土葬墓地に対する拒否反応の強さを肌で感じ、選挙の争点になるのを避けた。それには、大義名分が必要なので、墓地許認可権のある市町村長の意思確認という、形をとったのだろう。 市町村長にとって、土葬墓地問題を検討することには、大きなリスクがある。それは、昨年8月の大分県日出町(ひじまち)で行われた町長選挙で、土葬墓地容認派の3期を目指した現職町長が、反対派の新人候補にダブルスコアで惨敗した。この結果を知っていた県内の市町村長にとって、自らの選挙のことを考えれば、検討する余地はなかったと考えられる。この問題は、外国人労働者を積極的に受け入れる方針の国が乗り出さなければ、地方自治体だけで解決するには、荷が重すぎると言えるだろう。 墓地許認可の歴史は、「墓地及埋葬取締規則」1885(明治18)年に始まる。そして、戦後「墓地埋葬法」1948(昭和23)年が施行され、現在に至っている。もともと、墓地行政は国が担っていたが、2000(平成12)年に施行された「地方分権一括法」によって、国から地方自治体に移り、最終的には市町村に移された。これによって、市町村長に墓地の可否判断が任せられ、日出町のように土葬墓地問題が選挙の争点になったのである。これから、この問題が全国的に起こるのは確実で、市町村長にとって頭痛のタネになるだろう。 今、イスラム教徒の増加によって、土葬墓地が政治的社会的問題になっている。同じ土葬の「アブラハム宗教」であるキリスト教から、今までなぜ問題が起きなかったのか不思議に思っていたが、それには理由があった。キリスト教は、1963(昭和38)年に火葬を解禁していたので、世界中のキリスト教国は火葬を行っている。イスラム教も、同じように火葬の解禁ができないものか、火葬率ほぼ100%で世界一の火葬大国、日本から要望することも、必要なのではないかと思っている。