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豊臣兄弟

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  • 11 時間前
  • 読了時間: 2分

4月26日、今年のNHK大河ドラマ「豊臣兄弟」、第16回は「覚悟の比叡山」のタイトルであった。織田信長による比叡山焼き討ちは、前回の「姉川の戦い」(1570)の翌年に起こった。当時の比叡山は、有力大名のような軍事力・経済力を持ち、信長と敵対関係にあった。姉川の戦いは、織田・徳川の連合軍と浅井・朝倉連合軍の戦いであり、まれにみる凄惨な戦いで姉川が血で真っ赤に染まったと言われている。この戦いに敗れた浅井・朝倉の軍勢を比叡山が匿ったことが、焼き討ちされる一因となった。比叡山焼き討ちは、日本の歴史の中で政教分離のきっかけとなった、一大事であった。  今回の「覚悟の比叡山」は、前回の「姉川の戦い」のような凄惨な場面は少なかったが、史実によれば信長の残虐性が一番よく表れた攻撃であったといわれている。姉川の戦いは武士同士の戦い、しかし比叡山焼き討ちはすべての堂塔伽藍を焼き尽くし、僧侶や女・子供まで首を刎ね皆殺しにした、歴史上例を見ない峻烈なものであった。大河ドラマの中では、その場面を忠実に描くことは憚れたのか、女・子供が殺されていた一場面だけであった。物語の中心は、豊臣兄弟と明智光秀の苦悩と覚悟を決めるものであった。  豊臣兄弟の苦悩と覚悟は、姉の子供を人質に差し出す姉との葛藤で、この子供は後に秀次となり、秀吉の養子となり関白となった。しかし、実子秀頼が生まれたことにより、謀反の疑いをかけられ28歳の若さで高野山で切腹を命じられ、非業の死を遂げた。一方、明智光秀は信長から比叡山焼き討ちを命じられ、苦悩と覚悟する姿が描かれていた。この出来事は、後の「本能寺の変」を引き起こす遠因になったといわれている。信長のこのような家臣に対する非情で無慈悲な扱いは、革命家が持つ特異な資質なのかも知れない。  比叡山延暦寺は、最澄(767~822)によって創建された天台宗総本山の名刹である。白河法皇(1053~1129)は、「賀茂川の水、双六の賽の目、比叡山の山法師は自分の思い通りにはならない」と嘆いている。信長にとって比叡山は、浅井・朝倉に味方する許すことのできない敵だったのだろう。次回は「小谷落城」、どのように描かれるのか楽しみである。

 
 

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